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椿の豆知識

椿(ツバキ) ツバキ科ツバキ属  学名Camellia japonicaで

日本原産の常緑樹で、椿は葉が厚いので「厚葉木(あつばき)」や葉に艶があるので「艶葉木(つやばき)」が、なまってツバキと呼ばれるようになったと言われています。

ツバキは、漢字で椿と書きますが春を代表する木という事から日本で作られた漢字で、俳句では春の季語として使われています(寒椿は冬の季語)。その他、果実が石榴(ザクロ)に似ており、海を渡り中国に行った為、海石榴とも書きます。因みに中国ではツバキを山茶と書きます。

日本では、サザンカを山茶花と書きますが椿と山茶花の違いは、山茶花は、花びらが個々に散るのに対し椿は、花びらが全部一緒に落ちます。

椿の花言葉は「誇り」「完璧な魅力」「おしゃれ」「理想の恋」「完全な愛」

赤椿は「気取らない魅力」「見栄を張らない」「慎み深い」

白椿は「最高の愛らしさ」「申し分のない魅力」「至上の美」「素晴らしい魅力」です。

椿の歴史1

椿は、日本における伝存する最古の正史日本書紀や古事記に椿の事が記されています。

椿は、元々は油料として使用されていたが、奈良時代に入ると花樹として観賞されるようになり、生産が盛んになった。椿油は生活の必需品で、化粧品、薬、高級食用油、整髪料など幅広く使われるようになった。

(現在でも、様々な商品に使われておりますが、椿油には酸化されにくいオレイン酸を多く含む為、老化を抑制する効果があるようです。)

万葉集には、「あしびきの やつおのつばき つらつらに 

         見とも飽かめや 植えてける君」(大伴家持)とあり

意味は、「山々の椿は、つくづく見ても見飽きる事がない、

     植えたあなたも椿と同じように見飽きる事がない」です。

岩根絞

戦国時代には、織田信長に茶頭として雇われた千利休は茶花として椿を好んでいた。その後、豊臣秀吉に仕えた。その時の庭師の名前が侘助と言い、彼の名に因んで侘助椿と名前が付けられたと言われています。
織田信長の菩提寺として秀吉が建立した大徳寺総見院(京都には、秀吉が利休から譲り受け植えた胡蝶侘助が現存している。

椿の歴史2

千利休の弟子の一人で信長の弟の織田有楽斎も侘助椿を好み、関ヶ原の戦いの後に徳川家康に仕え、数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領し、その屋敷跡が有楽原と呼ばれ、明治時代に「有楽町」と名付けられた。その有楽斎にゆかりの深い名花として数寄屋侘助、有楽椿があります。

 数寄屋侘助

 ウラク椿

将軍家の茶道指南の後継者の小堀遠州も椿を好み、茶会記での初見に白玉椿で、もてなしている。今日では、着物に遠州椿という柄があります。

 絞り初嵐(初嵐は白玉の別名)

茶の湯でも縁の深かった秀忠、家光は、椿を東都江戸の木、征夷大将軍徳川家の守護木とし、江戸城に国内各地の椿を集めました。

江戸では上流武士に人気が広まり、園芸家の椿に関する多数出版されました。(武士は花ごと落ちる椿を首が落ちる様を連想させる為嫌ったという俗説がありますが、どちらかと言えば、鮮やかに咲いている時に花ごと落ちる姿を「潔し」として好んだようです)

その後、上流武士の間で根付いていた椿が、園芸家の品種改良などにより民衆のものとして花開きツバキブームとなりました。

19世紀頃には、ヨーロッパでも椿の人気が高まりアレクサンドル・デュマ・フィスの小説「椿姫」がベストセラーとなったり、20世紀には、ココ・シャネルが最愛の恋人から最初に贈られた花が椿だったと言われており、シャネルは椿をこよなく愛し「CHANEL」のモチーフとなり、カメリア・シリーズなど様々な椿に関する商品が販売されているようです。

今では、椿は形を変え世界中の人に愛されているのですね(^.^)

いやー椿は本当に美しい!

紺侘助

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